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来世、生まれ変わって同じチームでホームラン競争をする~その4 [王と清原]

細胞の節約って?

例えば石油など限りある資源を使うにあたってムダがあると全体として本来使えたはずの恩恵を完全に受けることができない。
そのムダを省くことを節約といっていいと思う。

細胞が先に述べたように一定量しかないとすれば節約しなくてはもったいない。

人間が今後も人口を増やしていくならばその分、他の生物が減るわけで、それでも生態系を維持するには必要以上に減らないようにしなくてはならない。
人間が増えた以上に他の生物が減ってしまえば食べるものにも不自由することになりかねない。

さらには生態系のバランスも重要だ。
世界が人間と有害な細菌だけになってしまったら大変だ。

いくら節約してもある程度人口が増えきってしまうと食べるものがなくなり人口は減少する。
考えるべきはどれだけバランスをとりながら人口を増やせるかということだ。

どうすればよいか。
考えられるのは生きていない細胞をなくすこと。

例えば木材。
一般にはシロアリだとかに食われないようにするもんだが、シロアリも生き物。
木材を食って生活しているのだ。
連中が死に、それを微生物が分解し、植物が育ち…と連鎖の一部となっている。

木材が他の生物に食べられないようにするとその木材は食物連鎖から外れ、その細胞は細胞でありながらも生物でなく、人間の細胞となる機会は失われる。
これは細胞としてはムダだ。

細胞であるのに細胞として機能していないものが多ければ多いほど生物となる材料は少なくなり、人口を増やすことができなくなる。

結果、木材は使わない、全て石や金属を使う。
石油製品は細胞と同じくもったいないから使わない。

ん?
石油は化石燃料ってぐらいでもともとは細胞だったのか?
まぁ、それは置いとくか。
石油は食えないしな。

建築物も家具も石造り、紙はなくなり本は全部電子化される。
問題は衣服だ。
新しい素材を開発しなくては。

他にはムダにしている細胞はないだろうか。
垢や髪の毛などをゴミとして出してしまうと燃やされてしまって連鎖から外れてしまう。
よく考えると火葬などもよくないのでは?
燃えた後の残留物にも生物を養う能力があるだろうか。



ホームラン競争とは全然違う話になってしまったが、生命はまわりまわってまた巡り合うこともあるに違いない。
なんて思う。
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来世、生まれ変わって同じチームでホームラン競争をする~その3 [王と清原]

ホームラン競争とはだいぶ話がズレているが気にしないで先へいく。

植物の細胞の材料だが、家庭菜園などで話題になる栄養素は窒素、リン酸、カリウム、炭素、水素、酸素、マグネシウム、カルシウム、硫黄、マンガン、ホウ素、鉄、鋼、亜鉛、モリブデン、塩素の16元素だ。
このうち炭素、水素、酸素は空気から取り入れることができる。

これらの栄養素からどうやって細胞を作るのかは私にはわからない。
でも大きく成長するのだから細胞も成長しているわけで数が増えずともその材料は必要になるはずである。

よく考えてみると植物の肥料となるのは動物などの死骸が土にかえったものではなかっただろうか。
動物の死骸を微生物が分解して…と習った気がする。
だとするとやはり他の生き物の細胞を材料に自らの細胞を作っているのだろうか。

私の知識ではなんにも解決できないが、なんとなく、世界の細胞もしくはその材料は一定しているんじゃないかって思える。
そこんところ今後勉強していきたいが、問題はもしそうならばどうなる?ってこと。

地球上の人口は確実に増えている。
少子化問題が取り沙汰される機会も増えているが、日本でも人口は増えてきた(これから減るらしいが)。
先ほどの説が万が一正しければ人間が増える一方他の生物は減っていることになる。
それでも牛や豚なんかは増えてるはずだから減っているのは目に付かない生物だ。

大きな多細胞生物が増えているなら細胞数の少ない生物はそれ以上の勢いで減っているのではないか?
すると当然、食物連鎖云々がバランスを崩し人間にも影響がある。

なんて言ってても仕方がないので、いかに細胞を有効利用できるか?ということを考えたい。
細胞数が決まっているのならその限りある資源を無駄なく使ったほうがいいだろう。
節約とかって話。


…またまたつづく
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来世、生まれ変わって同じチームでホームラン競争をする~その2 [王と清原]

先日のオリックス清原選手とソフトバンク王監督の話から、生まれ変われるだろうか?などと考えた。
もちろん非科学的なことだとはよ~くわかっている。
しかし私の妄想には何の関係もない。

人が死ぬと生まれ変わるっていう考えはどっかの誰かが思いついて広まったであろう有名な話だ。
何の根拠があるかはぜんぜん知らない。
きっと安らかな死を迎えるための希望として浸透していったのだろう。

こういう話を聞くと、だったら人口は増えも減りもしないはずじゃん、と考える方もいらっしゃると思う。
一方でそれは、人間だけの話でなく他の生き物も含まれんじゃないの?って考えもある。

一番の疑問は地球上の人口は増え続けているし、家畜など動物も増えてんじゃないの?ってこと。
つまり生命の頭数が合わなそうな雰囲気である。
実際はどうなんだろう。

生命の頭数をもっと小さな、例えば細胞とか分子とか原子とかに変えてみるとどうだろうか。
ひょっとしたら個体数に増減はあれど地球上の全生物の全細胞数またはタンパク質などの原料の総量は常に一定だったりしないだろうか?

考えてみれば生き物はみな他の生き物を食べて、それを自分の体に作り変えて生きている。
生き物以外のものを食べてもそれは細胞の材料ではなかったはず。

細胞数が一定でないとすれば細胞を原料としない細胞を新たに作り出す生物がいるということになる。
そうでなければ生物は減ってしまうはずだから。

植物は日光などの光を受けて栄養素を自ら作り出すことができるらしい。
植物の細胞壁はそこでできるブドウ糖などを原料に作られるという。
この植物が一番新たな細胞を作れそうな感じがする。
なにせ自分で栄養を作れんだからな。

それに植物は一部の種を除き他の生き物を食べない。
細胞の主材料であるタンパク質をどこで調達しているのだろうか?


…つづく
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来世、生まれ変わって同じチームでホームラン競争をする~その1 [王と清原]

先日、オリックスの清原選手が引退した。
その最後の試合で相手チームの、同じく今期での引退を表明しているソフトバンクの王監督と固い握手を交わしていた。
その際、王監督から「来世、生まれ変わったら同じチームでホームラン競争をやろう」と言われた。

王監督のような大先輩にそのような言葉をもらってさぞ胸に迫るものがあっただろう。
世界のホームラン王とホームラン競争ができるなんて野球冥利に尽きる。

でも、来世、生まれ変わって同じチームでホームラン競争をすることは可能だろうか?

死んだら魂が抜け、また新しい肉体に宿るのだとしたら死んでから宿るまでのタイムラグはどのくらい?
一定だとしたらホームラン競争は難しかろう。

仮に王監督と清原選手が同年齢ぐらいまで生を全うするなら、二人の年齢差を考慮するならまたしても同じくらいの年齢差で生まれ変わることになる。
現世で叶わなかったのなら、叶わないだろう。

望みをかけるとするならば王監督に非常に長生きしてもらうか、清原選手に早死にしてもらって同時期に亡くなることだ。
しかし死期をコントロールするのは難しいし、してはならない。

もし、死んでから生まれ変わるまでの時間が一定でない場合、うまくいけば同時期に生まれ変われるかもしれない。


…この話、長くなりそうなので次回に続く
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